さくらの妊活備忘録

アラサー夫婦の妊活を備忘録として綴るブログです。

#3-01 クロミッド・タイミング法開始

【タイミング法1周期】
結局38日まで過ぎてやっと生理が来たので、5日目からクロミッドを飲み始めた。錠剤の苦味は少し苦手だったが、特に副作用は感じることなく5日間飲みきった。

15日目に受診し、内診してもらい、明日か明後日くらいに排卵するでしょう、とのこと。結局この周期も排卵検査薬は陽性にならなかったが、17日目にタイミングをとった。その後高温期が続き、次回生理予定日までそわそわして過ごしたが、30日目で基礎体温がガクンと下がり、妊娠していないことがわかる。起床時の暗闇で体温計から静かに結果を知らされるのは、なかなかハードだった。
まあまだ1回目だし、排卵検査薬も陽性にはならなかったし…。
あまり気落ちしないように意識して、朝食時にもも太へ報告し、次はうまくいくといいねと気合を入れた。

 

【タイミング法2周期】
18日目の日中、排卵検査薬が初めて陽性となった。妊娠検査薬ではなく、ただの排卵検査薬だが、あの小さな窓に線がくっきり見えたことがものすごく嬉しかった。やっとスタートラインに立てたような気がしたし、テンションが上がりすぎてもうこのまま妊娠できるような自信さえ湧いてきていた。
当日タイミングをとり。その後は高温期間が続き、勢いだけの根拠のない自信があったが、30日目に基礎体温が急降下。今回は(根拠のない)自身があったため、前回以上にショックだった。

 

◇経緯まとめ◇
妊活準備3周期:タイミングとらず基礎体温計測するのみ
タイミング法1~2周期:クロミッド服用、排卵検査薬も使いタイミング法

#2-02 妊活準備つづき

【妊活準備2周期】

1周期28日分のガタガタの基礎体温表を持って、近藤クリニックを受診した。
子宮筋腫を超音波で診てもらい、大きくなっていないから大丈夫だそう。よかった。
基礎体温は「たしかにガタガタだね…もうしばらく様子をみましょう」とのこと。

その後も基礎体温を測り続けたところ、2周期目はがたつきはあるものの相を成すようになってきた。
ただ、ピルをやめた直後は28日でぴったり生理が来たのに、その次の周期は35日かかり、さらにその次の周期もなかなか生理が来なかった。この時はタイミングをとっていなかったので、生理が来ないから妊娠というのは全く考えていなかった。もしタイミングをとっていたら期待してしまっていたかもしれないので、変な期待をせずに済んでよかった。

前回の受診から約2ヶ月後、近藤クリニックを受診して生理周期が延びていることを相談した。
もう少しすれば生理が来るだろうから、排卵誘発のために生理5日目からクロミッドを5日間のむように言われ、次回は○月○日頃(排卵日前くらい)に来るよう言われた。

また排卵検査薬も使ってみるように言われたため、ドラッグストアに寄って買って帰った。買えないような値段では決してないが、微妙な値段の高さに少し戸惑った。
周期的に排卵日と思われる数日前から排卵検査薬を使ってみたものの、陽性となることは一度もなかった。完全にずれていたのか、検査の仕方が下手なのか…。せっかくピルをやめて妊活を決意したのに、3周期も排卵日すらわからない状態にさすがに不安が募り始めていた。

 

◇経緯まとめ◇
妊活準備2周期:タイミングとらず基礎体温計測するのみ

 

#2-01 妊活準備開始

数年のおつきあいを経て、もも太と入籍した。
入籍の数ヶ月後に新婚旅行を予定していたため、それまではピルを飲み続けて、旅行が終わったらピルを辞めるつもりでいた。もも太にもそう話していた。

楽しみにしていた新婚旅行だったが、航空会社から欠航の連絡があった。
ものすごく残念だったけど、世界の状況からして仕方のないことだった。

もも太は延期のつもりでいたようだったけど、私は延期というより中止のつもりでいた。もちろんいつかはリベンジしたい。でも、世界状況が落ち着くのなんて1年後か5年後かそれ以上か全く見当もつかないのに、旅行のタイミングを待ち続けるなんて、女の身体にはそんな時間はない。
高齢出産へのカウントダウンはもうスタートしているのだ。
いつか子宮筋腫が大きくなって妊娠に支障が出てしまうかもしれない(つまり早く妊活したい)ことや、子供は2人ほしいけど高齢出産はリスクが高い(つまり早く妊活したい)ことを、もも太に説明した。
さくらはまだ若いから大丈夫だよという重さ0gの言葉をもらってしまったりもしたが(想定内)、説得を続け、最終的にはもも太も納得してくれた。
了承してくれたもも太には感謝している。

 

【妊活準備1周期目】

その周期でピルをやめた。
ピルをやめてすぐに出血が始まったので、そこは一安心。ただ、数年ぶりにピルなしで迎えるPMSと生理痛は、なかなかキツかった。
生理前になるともも太の些細な行動にとにかくめちゃくちゃイライラする。そんなことも許せない自分が嫌になって情緒不安定。生理が始まると腹痛、腰痛、足のむくみ。数年間お世話になったピルが恋しかったが、妊娠のためには耐えるしかない。
そしてピルをやめると同時に基礎体温も測り始めた。
世界が発熱に敏感になっていたため、体温計の品薄が続いてた。そのせいか婦人体温計もまさかの品薄。amazon等にも在庫がない状況だったが、なぜかdocomoのdショッピングの公式出店でオムロンの婦人体温計を買うことができ、届いた翌朝から測定スタート。
1周期測ってみたところ、超ガタガタ。相と呼べるものは全く無く、排卵日もわからず、タイミングもとらなかった。でもまあ、ピルをやめた直後でホルモンバランスがまだ不安定なのかもしれないし、測り慣れていないせいで測定のばらつきもあるだろうし。さほど気にしなかったが、子宮筋腫のこともあったので、ひとまず以前子宮筋腫を指摘された近藤クリニックを受診してみることにした。

 

#1-04 特別養子縁組

1-ある日テレビで偶然、特別養子縁組のドキュメンタリー番組を観た。

あるご夫婦が不妊治療をしたけれども良い結果を出せず、特別養子縁組で生後間もない赤ちゃんをお迎えする様子が取材されていた。確か30代半ば〜後半くらいのご夫婦だったと思う。
番組の一部しか観られなかったが、不妊治療の末の特別養子縁組という選択肢の存在を考えたことがなかったので、この番組を見たことは鮮明に覚えている。それまでの無知な私にとって、特別養子縁組というのは物語の中でのイメージしかなかった。
「子宝に恵まれなかった経済的に裕福な(初老の)夫婦が、子を愛でたい気持ちと社会貢献の精神から、児童養護施設で育った幼児〜中学生くらいの子を引き取ること」みたいな。
だから、不妊治療の末の特別養子縁組という選択肢の存在に驚いたと同時に、その方法もあって当然のはずなのになんで気が付かなかったんだろうと不思議にさえ思った。

もちろん、例えば「子供は3人欲しいな」なんて言葉で想定されるのは当然、自分たちの血を継ぐ子供のことだろう。でも、この言葉は3人の子供のいる家庭を築くことを指すのであって、妊娠出産を3回したいということではないはず。
なんらかの事情で妊娠出産が難しいのなら、子供をもつこと自体を諦める必要なんてない。
妥協っていうと言葉は悪いけど、血縁関係にとらわれすぎず、子供を切望する夫婦が子供をお迎えできて、さらになんらかの事情で実親に育ててもらえない子が家族を持つことができるなんて、こんな素敵なことあるだろうか。

血縁関係ではないことを子供に話すタイミングとか、周囲の理解不足とか、当事者にしかわからない苦悩もたくさんあるだろうから、軽い気持ちで選べる道ではないとは思う。でも、体外受精がだめでも子供との生活を期待できる選択肢があるということにものすごく希望を持てた。
この時はまだ妊活すら開始していなかったけど、大学時代に不妊治療のむごさ(の一部)を知った私にとっては、特別養子縁組で赤ちゃんを迎えたご夫婦が本当に輝いて見えた。

親側から見た特別養子縁組は社会貢献の一種だと思っていたが、親になりたい人が幸せになる方法の一種でもあるのだと知った。

#1-03 子宮筋腫と結婚

定期的な血液検査もしながらマーベロンを飲み続けた。
そしていつしか夫のもも太と出会い、お付き合いをスタート。

ある日、自治体から子宮頸がん検診の助成のお知らせが届き、近所の婦人科の近藤クリニックで検診を受けた。
確か大学生の時にも他院で子宮頸がん検診を受けたことがあって、痛かった。
この時もつい力んでしまうくらい普通に痛かった。
子宮頸がん検診の結果は後日郵送で送ってくれるとのこと。
ただ、当日の超音波での所見で、片側に小さな子宮筋腫があることが判明。
「現時点では小さいので問題ありませんが、大きくなってしまうと妊娠しずらくなってしまうこともあるので、1年に1回くらい経過観察で受診するといいですよ。ピルも飲み続けて大丈夫です。」と説明を受けた。
子宮筋腫は適齢期の女性の数人に1人がもっているものだと知っていたので、そんなに驚くことも不安になることもなかった。

60代くらいの男の先生で、圧のない優しい口調で、とても印象の良い先生だった。
また来年もここで診てもらおうと思った。
後日送られてきた子宮頸がん検診の結果は異常なしだった。

数年のおつきあいを経て、もも太と結婚した。

 

 



#1-02 新卒時代 ピルとあさこちゃん

私は学生時代からPMSや生理痛が重かった。生理前のどろどろの睡魔、止まることのない食欲。生理中は下腹部痛と腰痛、座っているだけでむずむずしてくる脚のむくみ、さらには情緒不安定。
そのため新卒で働き始めてすぐ、低用量ピル(マーベロン)を飲み始めた。PMSや生理痛も軽くなり、経血量も減り、生理のスケジュール管理もでき、だいぶ快適に過ごせるようになった。
こんなに快適なのに、日本女性のピル服用率が未だに低いのは非常にもったいないと思う。ピル=性に奔放というイメージもあるのだとしたら悲しい。ただ私はそれ以上に、(ピルに限らず)正しい知識もないのになんとなく「副作用が怖いから…」という理由で薬を拒否する人を、かわいそうな目で見ずにはいられなかった。医療系の大学・職業を選択してよかったと思う。

新卒で入った会社の同期で仲良くしていたのがあさこちゃん。
さこちゃんは、かなり長く付き合った彼氏と入社直前に別れてしまい、当時流行りだしていたアプリやパーティでの婚活をたくましくがんばっていた。
当時私には彼氏(現在の夫とは別人)がいたものの、その彼氏との結婚はあまり現実的には考えてはいなかった。
私たちは卒業に6年かかる学部だったため、新卒当時で既に25歳くらい。専門学校や普通の4年制大学を卒業した地元の同級生に数年遅れて社会人となり、結婚というワードも身近になってきていた。
この頃あさこちゃんと会うといつも、
「まだ親になる覚悟は全然ないけど、年齢的には今すぐにでも1人産んでおかきたいくらいだよね」「結婚したら1~2年は子供なしで新婚時代を楽しみたいけどさ」「とにかくまずは結婚相手見つけないとね」と話していた。
地元の同級生は結婚していたり子供がいたりする年齢。すごく焦っていたというほどでもないけど、年齢的な余裕がある訳ではないとは自覚してた。

そんなあさこちゃんは入社2年目の年にマッチングアプリで出会った男性と結婚。出会ってから結婚まで早かったが、本当に家族ぐるみで仲良くしているようだった。あさこちゃんの婚活を通してのやばい男性エピソードはたくさん聞いていたので、心から嬉しかった。結婚式も素敵だった。
そして翌年の夏、あさこちゃんは男の子を出産した。
あさこちゃんへの負の感情は全く湧かなかったが、つい最近まで似たような状況にいた同い年の子がトントン拍子で結婚・出産していく様子を見て、焦りというか、自分の将来を不安に感じずにはいられなかった。

#1-01 不妊治療を知る

まずは、不妊治療の当事者となるよりも前の私が、不妊治療という概念を知った大学生の時の話。もう10年以上ものこと。

 大学の倫理系の授業で、テーマは出生前診断
その周辺知識として、不妊治療が紹介された。世の中には不妊に悩む夫婦がたくさんいること、ホルモン注射の痛みなど身体的負担が大きいこと、頻回な通院のため仕事との両立が難しいこと、治療法によっては多胎となる可能性が高いこと、保険適用にならず高額であるにも関わらず必ずしも妊娠できるとは限らないこと、そしてもちろん精神的負担がかなり大きいこと、初めて知ったことがたくさんあった。
 当時ハタチ前後の無知な私にはなかなかインパクトのある内容だった。
もちろん妊娠は授かりもので、希望通りにいかないものだとは知っていたつもりでいた。でも、妊娠を望む夫婦が希望通りにいかない過程について具体的に想像したことは無かった。結婚できなかったらどうしようと不安に思うことはあっても、子供ができなかったらどうしようなんて考えたこともなかった。
 不妊治療の現実(のごく一部)を知って、色々考えた。もし将来結婚してずっと子供ができなかったら、私も不妊治療を始めるのだろうか。お金は足りるだろうか。辛い治療に耐えられるだろうか。もしダメだったらいつ諦める? 両親はがっかりするに違いない。子供のいない夫婦だけでどうやって数十年を過ごせばいいのか、全く想像がつかなかった。

 また、出生前診断についてもこの時初めて知った。
障害児は生まれない方がいいのか?
命の選別?
そもそも、生命ってどこから?

この授業を受けて本当によかったと心から思う。
もしこの授業を受けずに、不妊治療について何も知らないまま結婚して不妊の壁にぶちあたっていたらと思うと、ぞっとする。
あの時の先生に御礼を伝えたい。